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『論理哲学論考』を読むにあたっての言葉の意味の考察1

あくまで「内容」でなく「言葉」をはっきりさせることを目的にしたいと思います。

本を手元に置かれますとわかりやすいかと思います。

以下、番号は『論理哲学論考』に振られたものです。

 

1.1

「世界は事実の総体である。事物の総体ではない。」

早速、「世界」「事実」「事物」という言葉が出てきました。

1.11、1.13、1.2にヒントがありそうです。

統合すると、論理空間(論理的に考えうるすべての空間と思います)のなかの事実が世界であり、また、世界を分割すると事実になり、事実がすべて事実であることにより規定されている。

 

事実がすべて事実により規定されている、ということから、事実というものはたんなる「事物」ではないと推論されます。

2

「事実とは事態が現実にそうなっているもの」

これはそのまま解釈してよさそうですが

2.01

「事態は対象(事柄、事物)が結合したもの」

「事態」、という言葉がまた出てきました。

2.011

ここで、「事態を構成することができるものは事物に本質的なもの」、とあります。

「事態」は「物」ではなさそうです。事物、事柄が結合したもの、事態が現実にそうなっている、という文脈から現象的なものの動機になりうるものではないかと推測されます。

2.0121、2.0123、2.0124、2.02、2.0232

このあたり「対象」という言葉が出てきますが、やはり文脈から推測するに「事物」とほぼ同義ではないかと考えられます。

2.0233

いきなり「論理形式」という言葉が出てきます。

まだよくわからないので、ずっと読み進めると

2.18

「どんな形式であっても、どの像も…なにを現実と共有している必要があるか。論理形式である。」

とあります。

ここで、事実と像が共有しなければならないもの、それが「論理形式」ではないかとなります。もう少し踏み込むと、どんな形式、像でも同一の事実を共有しなければいけないということが論理形式なのでは?となりますが少し難しいですね。

ちなみに

2.033

「形式とは、構造の可能性である。」

とあるので事態はますます混乱していくのですが、差し当たりは上記の解釈で問題はなさそうに思います。

ところで「像」という言葉をまだはっきりさせていませんでしたが、これは事実がなにかモデルに写像されたもの、と解釈するのが自然です。

 

とりあえず、ここまでの言葉を明確にできたと思います。

差し当たりこのあたりまでにしておきましょう。