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好きなひとがいたとしたら~『愛というもの』~

肉体的な愛とか男女間の愛とかに限りません。そもそも愛とはなんなのか。プラトンの『饗宴』はまだ途中までしか読んでませんがそれも咀嚼できていませんが引用なりしつつ綴ってみたいと思います。

 

あるひとがあるひとのことを好きだとします。ここでは年齢も性別も肉体的・精神的とかも勘案しないこととします。以下議論が漠然としそうですが。

 

愛は神的なものでもなければ俗物でもないのですよね。どちらかでないといけないと決めつけるのは早急です。極めて知恵のあるひとが知恵を求めない、逆に極めて愚鈍なひとは自らの境遇に気づかずそれで満足してしまう。ところで、その「間」のひとはどうでしょうか。自らの無知を恥じて知恵を求めるはずです。しかし彼は完璧ではない。

 

愛するってそういうものじゃないかと思うんですよね。完全に完成された愛はそれ以上愛を求めることをしないでしょうし、誰も愛さないひとは愛というものをしらないままです。

 

でまあ、私の場合について言いますが、愛というと重たいですけど好きなひとはいます。もちろんプラトニックなものです。私はそのひとを追い求めているのに、そのひとはなかなか振り向いてくれない。つらいことです。でもこのあたりに愛の本質があるのかもしれません。

 

要するに、必ずしも両方向とは限らないこと、愛は完璧でないがゆえに苦しみもがくものだということ、自覚しているということが愛の相をまさにリアルに顕わにすること。

 

この問題の解決は容易ではない場合が多いと思います。お互いが愛を自覚し合って惹かれ合わないと愛というものは昇華しないんじゃないかなあ。

 

以上で挙げた「愛」というのはいわゆる哲学で言う「エロス」というものです。

 

まあ、最終的には関係を通じてお互いの素性を愛し、お互いのこころの良さを愛し、知恵や叡智を愛し、最終的には普遍的な境地に至るのが理想なんだと思いますが、普遍的な境地というのがいまいちピンときません。これについてはまた書く機会がありましたら熟慮して書こうと思います。

 

愛という言葉をいい加減に使いすぎましたので、そのあたりの解釈は読者の皆様に委ねたいと思います。