読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ラヴェルの音楽について~徒然なるままに~

ラヴェルの曲って、とても楽想が幅広くて、それ故に理解しにくい面もあるのではないかと思うのですが、ラヴェルの曲って一貫してラヴェルらしさはあるのですよね。

 

いま、『ピアノトリオ』を聴いています。名曲として(ラヴェル好きの間では)有名ですよね。ピアノが割と複雑に、時には素早く美しいアルペジオでヴァイオリンと絡む場面があったり、コードががんがんとやはり複雑に奏されるところもあったり(第4楽章とか)面白いですよね。この作品はなかなか叙情的な作品だと思います。美しいです。

 

ピアノ曲といえば、いろいろありますが、初期の作品で言えば『古風なメヌエット』とか出だしからびっくりするような音のぶつけ方で始まるので印象的ですね。でもそこだけじゃなくて全体的に静かで穏やかな場面もありつつ力強いところもありつつ…当たり前なんですけど、しっかりメヌエットな作品ですね。和声が面白いんですね。それほど複雑な曲ではないと思うんですが、独創性の光る作品です。

 

個人的に一二を争う好きな曲は、『鏡』の『悲しい鳥』です。リズムはややこしいは調性もふらふらするような感じ(気持ちいいです)だわで技巧的に最難関ではなくとも難しい曲だと思います。途中、鳥の悲痛な鳴き声が同音反復で表現されている箇所とかすごく好きです。それ以外はアンニュイな感じで、一か所だけ際立った表現がされているのが印象的です。

 

『ピアノ協奏曲』はいわずもがなの名曲ですね。第一楽章は盛り上げはするんだけれど、どこか陶酔的な感じがあって(特に一部分顕著です)酔うにはいいですね。第二楽章はもう説明するまでもなく美しい楽章で、旋律が淡々と、情緒豊かに歌われて途中急に異世界に迷い込んだかと思えば、ふたたび冒頭の旋律がイングリッシュホルンで戻ってくるという実に感動的な楽章です。第三楽章は短めですがどんどん転調を繰り返していく面白い楽章ですね。

 

『夜のガスパール』の『スカルボ』はまさに狂気と呼ぶのがふさわしい楽曲ですね。あれだけやって楽曲として崩壊しないのが不思議でならないくらいですが、好きな曲です。

 

クープランの墓』の『フーガ』や『トッカータ』も好きだし、『ダフニスとクロエ』も外せないんですが、全作品挙げてるときりがないので以上挙げたくらいでラヴェルの音楽の多様性と奥の深さ、面白さを少しでも感じていただければ幸甚です。

ラヴェルの音楽について~徒然なるままに~

ラヴェルの曲って、とても楽想が幅広くて、それ故に理解しにくい面もあるのではないかと思うのですが、ラヴェルの曲って一貫してラヴェルらしさはあるのですよね。

 

いま、『ピアノトリオ』を聴いています。名曲として(ラヴェル好きの間では)有名ですよね。ピアノが割と複雑に、時には素早く美しいアルペジオでヴァイオリンと絡む場面があったり、コードががんがんとやはり複雑に奏されるところもあったり(第4楽章とか)面白いですよね。この作品はなかなか叙情的な作品だと思います。美しいです。

 

ピアノ曲といえば、いろいろありますが、初期の作品で言えば『古風なメヌエット』とか出だしからびっくりするような音のぶつけ方で始まるので印象的ですね。でもそこだけじゃなくて全体的に静かで穏やかな場面もありつつ力強いところもありつつ…当たり前なんですけど、しっかりメヌエットな作品ですね。和声が面白いんですね。それほど複雑な曲ではないと思うんですが、独創性の光る作品です。

 

個人的に一二を争う好きな曲は、『鏡』の『悲しい鳥』です。リズムはややこしいは調性もふらふらするような感じ(気持ちいいです)だわで技巧的に最難関ではなくとも難しい曲だと思います。途中、鳥の悲痛な鳴き声が同音反復で表現されている箇所とかすごく好きです。それ以外はアンニュイな感じで、一か所だけ際立った表現がされているのが印象的です。

 

『ピアノ協奏曲』はいわずもがなの名曲ですね。第一楽章は盛り上げはするんだけれど、どこか陶酔的な感じがあって(特に一部分顕著です)酔うにはいいですね。第二楽章はもう説明するまでもなく美しい楽章で、旋律が淡々と、情緒豊かに歌われて途中急に異世界に迷い込んだかと思えば、ふたたび冒頭の旋律がイングリッシュホルンで戻ってくるという実に感動的な楽章です。第三楽章は短めですがどんどん転調を繰り返していく面白い楽章ですね。

 

『夜のガスパール』の『スカルボ』はまさに狂気と呼ぶのがふさわしい楽曲ですね。あれだけやって楽曲として崩壊しないのが不思議でならないくらいですが、好きな曲です。

 

クープランの墓』の『フーガ』や『トッカータ』も好きだし、『ダフニスとクロエ』も外せないんですが、全作品挙げてるときりがないので以上挙げたくらいでラヴェルの音楽の多様性と奥の深さ、面白さを少しでも感じていただければ幸甚です。

好きなひとがいたとしたら~『愛というもの』~

肉体的な愛とか男女間の愛とかに限りません。そもそも愛とはなんなのか。プラトンの『饗宴』はまだ途中までしか読んでませんがそれも咀嚼できていませんが引用なりしつつ綴ってみたいと思います。

 

あるひとがあるひとのことを好きだとします。ここでは年齢も性別も肉体的・精神的とかも勘案しないこととします。以下議論が漠然としそうですが。

 

愛は神的なものでもなければ俗物でもないのですよね。どちらかでないといけないと決めつけるのは早急です。極めて知恵のあるひとが知恵を求めない、逆に極めて愚鈍なひとは自らの境遇に気づかずそれで満足してしまう。ところで、その「間」のひとはどうでしょうか。自らの無知を恥じて知恵を求めるはずです。しかし彼は完璧ではない。

 

愛するってそういうものじゃないかと思うんですよね。完全に完成された愛はそれ以上愛を求めることをしないでしょうし、誰も愛さないひとは愛というものをしらないままです。

 

でまあ、私の場合について言いますが、愛というと重たいですけど好きなひとはいます。もちろんプラトニックなものです。私はそのひとを追い求めているのに、そのひとはなかなか振り向いてくれない。つらいことです。でもこのあたりに愛の本質があるのかもしれません。

 

要するに、必ずしも両方向とは限らないこと、愛は完璧でないがゆえに苦しみもがくものだということ、自覚しているということが愛の相をまさにリアルに顕わにすること。

 

この問題の解決は容易ではない場合が多いと思います。お互いが愛を自覚し合って惹かれ合わないと愛というものは昇華しないんじゃないかなあ。

 

以上で挙げた「愛」というのはいわゆる哲学で言う「エロス」というものです。

 

まあ、最終的には関係を通じてお互いの素性を愛し、お互いのこころの良さを愛し、知恵や叡智を愛し、最終的には普遍的な境地に至るのが理想なんだと思いますが、普遍的な境地というのがいまいちピンときません。これについてはまた書く機会がありましたら熟慮して書こうと思います。

 

愛という言葉をいい加減に使いすぎましたので、そのあたりの解釈は読者の皆様に委ねたいと思います。

好きなひとがいたとしたら~『愛というもの』~

肉体的な愛とか男女間の愛とかに限りません。そもそも愛とはなんなのか。プラトンの『饗宴』はまだ途中までしか読んでませんがそれも咀嚼できていませんが引用なりしつつ綴ってみたいと思います。

 

あるひとがあるひとのことを好きだとします。ここでは年齢も性別も肉体的・精神的とかも勘案しないこととします。以下議論が漠然としそうですが。

 

愛は神的なものでもなければ俗物でもないのですよね。どちらかでないといけないと決めつけるのは早急です。極めて知恵のあるひとが知恵を求めない、逆に極めて愚鈍なひとは自らの境遇に気づかずそれで満足してしまう。ところで、その「間」のひとはどうでしょうか。自らの無知を恥じて知恵を求めるはずです。しかし彼は完璧ではない。

 

愛するってそういうものじゃないかと思うんですよね。完全に完成された愛はそれ以上愛を求めることをしないでしょうし、誰も愛さないひとは愛というものをしらないままです。

 

でまあ、私の場合について言いますが、愛というと重たいですけど好きなひとはいます。もちろんプラトニックなものです。私はそのひとを追い求めているのに、そのひとはなかなか振り向いてくれない。つらいことです。でもこのあたりに愛の本質があるのかもしれません。

 

要するに、必ずしも両方向とは限らないこと、愛は完璧でないがゆえに苦しみもがくものだということ、自覚しているということが愛の相をまさにリアルに顕わにすること。

 

この問題の解決は容易ではない場合が多いと思います。お互いが愛を自覚し合って惹かれ合わないと愛というものは昇華しないんじゃないかなあ。

 

以上で挙げた「愛」というのはいわゆる哲学で言う「エロス」というものです。

 

まあ、最終的には関係を通じてお互いの素性を愛し、お互いのこころの良さを愛し、知恵や叡智を愛し、最終的には普遍的な境地に至るのが理想なんだと思いますが、普遍的な境地というのがいまいちピンときません。これについてはまた書く機会がありましたら熟慮して書こうと思います。

 

愛という言葉をいい加減に使いすぎましたので、そのあたりの解釈は読者の皆様に委ねたいと思います。

『存在と時間』序論を読んでみて

小学生の読書感想文以下のことを書きますが、まあ個人のブログなので好きなことを書かせてください。

 

存在と時間』本編の序論を読みました。本は光文社古典新訳文庫の『存在と時間 1』です。これ一冊がまるまる序論になっています。解説がありますがまだ読んでません。本編のみを1度読んでみてということです。

 

ここでは諸々の言葉、概念が提示され、規定され、また「かつての」哲学との対比や不備の指摘などを通して議論が展開していきます

・・・

とても漠然としていますね。そうです、全体の見通しがいまいちまだ通っていないのです。

 

まあ現存在とか非常に重要な概念については何度も読み返したりして理解したつもりですが、全体のロジックがまだよく見えてません。

 

某所の書評には「解説だけよめばよい」みたいなことが書かれてましたがそんな馬鹿な話が…やっぱり本編を読んでなんぼでしょう。とりあえず先入観を持ちたくなかったので、最初は解説を読まずに本編を読んだわけです。

 

言葉も「実在」とか「実存」とか「存在」とか使い分けられてて、しっかり把握していないととたんに迷子になってしまいます。

 

現象学とは、についても書かれていて、ここは非常に重要なところだと思うのですが、理解できたかというと説明はできないけど…程度です。とりあえず現象というものの学ではない、生物学みたいに「生物」「学」とわけられるような性質のものではない程度はわかりました。

 

現存在は他の存在とは区別される、学問にかかわっているような自身の存在みたいなことが本文には書かれていたと思いますが、これも文脈でどんどん規定されていくので一言で説明しろと言われても無理があります。

 

まあ、解説を読めということですね。ちなみに分量的には本編より解説のほうが多かったりします。解説についてはまだ読んでいないのでそれだけしか言えません。

 

文庫でここまで時間を食われたのは初めてかもしれません。

 

結局、言いたいことは、難しいです。わかってないです。ただ、これから先どう展開していくのか楽しみでもあります。

【雑記】最近の活動

「活」の対義になる漢字ってなんでしょう。「活動」と呼べるほどのことをしていないのでタイトルからして違和感がありますが、雑記になります。

 

定期的に通院を続けています。ほとんど通院のみで帰ってくるのですが、この前は映画『君の名は。』を劇場で観てきました。感想などは控えるのですが、これはよそにも書いたんですが、本編では泣きませんでした。ですがエンドロールの最中に眼がすごく痛くなって涙が止まらなくなって、客観的には泣いたみたいになってなんというか泣き損?でした。作品が悪かったわけではないです。個人的にはもう一度くらい観たいです。

 

最近は本をたくさん買い込んでます。この衝動性は躁というよりADHD的な傾向じゃないかと思ったりもするのですが、臨床心理士による心理テストなどの結果から医師は微妙だけどもADHDとは診断しないとのことなので、うーん。でも、傾向としてはあるかもしれないので(誰しも何かしらの傾向はあるものです)それかなあ?

 

ごく最近買った本

J.J.サクライ『現代の量子力学 上・下』

杉浦光夫『解析入門Ⅰ・Ⅱ』

戸田盛和『ベクトル解析』

ハイデガー中山元 訳)『存在と時間1・2』

NEW GAME!の画集

 

最後はまあ毛色が違いますが、これ全部読めるのか?っていう本たちですよね。

百歩譲って戸田先生のベクトル解析は読めたとしても、他はすぐには読めなさそうな本です。ハイデガーは文庫(全8巻)なのでまだなんとかなるかもしれません。

焦りや不安が本に行ってる感があります。読めるのかとは書いたものの、読めるか読めないかきわどいラインを買ってるので、時間があれば読めそうではありますが…

 

いまはうつ状態真っ只中なので、集中力や意欲、思考力が大きく落ちていて頭を使うことは苦痛な時が多いです。雲がときどき晴れるように、陰鬱な気分が優れるときに少しずつ進みたいと思います。

ひさびさ(?)の本気オリジナル曲

最近オリジナル曲を書く機会が少なく、書いてもどこか手抜きというか納得がいかなかったのですが、今回それなりに満足のいく曲が書けたので、よければお聴きください。いや、むしろ聴いてください。

 

調性感はややあちこち忙しい感じですが、全体的にはA minor keyということでまとまってはいると思います。